古語曲解

暇人の妄言なので、試験勉強の参考にしないようにね

朝顔に 釣瓶とられて もらい水

加賀の千代女の有名な句である

 

千代女は 加賀の国・松任の人である

句意は

ある朝、井戸から水を汲み上げようとしていた千代女が

ふと 井戸端を見ると 思いがけず朝顔が咲いている

はっとして 朝顔に気を取られ 釣瓶を握る手を放してしまう

水汲みの桶が落下し 井戸の中の水が跳ねあがる

かくて千代女は 跳ね上がった水を 頭からかぶってしまう

もらい水である

よって 我をわすれるほど 朝顔好きな自分を 詠んでいるのである

 

松任付近は 手取川流域の扇状地に当たり

扇状地であるから地下水位が高い

よって、井戸の水位も高く いわゆる浅井戸である

水汲みの桶が落ちた程度で 地上に水が跳ね返るほどである

という考証が可能である

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発憤忘食

論語述而第七

葉公問孔子子路 子路不對

子曰 女奚不曰 其爲人也 發憤忘食 樂以忘憂 不知老之將至云爾

***

葉公子高 楚の王族、葉に封ぜられたため葉公と呼ばれる

姓は沈 名は諸梁 子高は字名

***

今回は、曲解じゃなく正解を

受験勉強でもOKです

「発憤~」を 憤リヲ発シテハ 食ヲ忘レ と訓ずると

えらく怒りっぽいイメージですし、実際、そう解釈する例もあります

そうなると どうも君子っぽくないですね

 

ここは、発憤シテハ と訓じます

学問に気合が入ると、食事を忘れてしまう と解釈すれば

楽シミテ モッテ 憂イヲ 忘ル と 繋がっていきます

そして、歳をとることに気がつかない と 締まるわけです

 

ところで、葉公は ショウコウ と 読みますが(試験に出るかも)

姓は沈とありますが 楚の王族なら 姓は 熊のはずだけどな

 

田一枚 植えて立ち去る 柳かな

奥の細道 の那須黒羽における句である

 

句意は明瞭である

今も昔も 田植えの作業は 人手がかかる

機械化された現代農業であっても

田植え機に充填するための苗箱運びの作業があり

それは、6条植え以上の大型田植え機において かえって顕著であり

直播でもないと、1人では田植えはできない

 

江戸期にあっては 村総出の作業であり

人手は いくらあっても足りない

 

芭蕉が眺めていた田植えは

どうやら人手が足りず難渋していたところ

芭蕉らが投宿していた在地の俳人である

柳行季(やなぎ ゆきすえ)という仁が

もとは農民であったらしく 助っ人を買って出たものである

ただし、芭蕉らを送る途次であったため

田一枚分だけ手伝ったのである

 

それを見ていた芭蕉は 柳とともに その場を立ち去るにあたり

この句を詠んだのである

 

 

 

百年河清ヲ挨ツ

【左氏伝 襄公八年】

春秋期、魯に尾生という男がいた

鄭に旅したときに

河清という男と知り合い、黄河の畔で酒を飲む約束をした

約束の時刻、約束の場所に尾生は出かけたが

待てど暮せど 河清は来ない

正直な尾生は いつまでも待った

付近の住民は これを見て

百年 河清を挨つが如し と 嘲ったものである

 

よって、馬鹿正直で融通が利かない人間を嘲っての謂いである

 

 

 

木ニ縁ッテ魚ヲ求ム

孟子』梁恵王上

 

縁木而求魚

往古、梁の地で竜巻が起こり

川魚が巻き上げられて、地に降り注いだことがあった

この時、人民は木に攀じ登って魚を争って獲ったのである

これを聞いた孟子は、嘆息した

「何という異常気象か、人が木に登って魚を獲っておる」

 

同様の事例は、西洋の中世にも発生している

よって、異常気象を嘆く謂いである

 

覆水盆ニ返ラズ

拾遺記

覆水は、西周初の人。姓は覆、名は水。

呂尚に見いだされ、司空に就いた。

司空とは土木工事に関する長官であるが、

覆水は精励恪勤のあまり、盆になっても帰郷しなかったため、老母が嘆いた。

これを伝え聞いた呂尚は、天を仰いで嘆息したという。

 

何という親不孝者か。覆水は盆に返らないとは

 

よって、親不孝を非難する謂いである

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鶏口牛後

史記蘇秦

寧為鶏口、無為牛後

戦国期、縦横家蘇秦が、韓侯を訪問したところ

美食家の韓侯は蘇秦に、羹をつくる際のダシには何がよろしいかと尋ねた

蘇秦、答えて曰く

「牛の尾を使うよりも、鶏の頭を使う方がいいですよ」

蘇秦は、王がスープのダシのために牛1頭を屠ることによる民の費えを憂え、

安価な鶏の頭を薦めたのである

 

よって、美食を戒めての謂いである